経営の本質を「営み」ととらえて最広義に理解すれば、「営み」の必然性は国際の広がりをもつ。情報技術の開発は、その必然を保証する一面を担うことになる。しかも、「営み」の根源に文化のあることを見落としてはならない。こうした視点から、従来のいわゆる経営学・経営管理論・経営文化論等々を見直す緊要性と、次世代の要請を感知する中で、「国際経営文化学会」を設立することになった。

 文化に対する解釈は多岐多様にわたるが、ここでは「文化」を『考え方』(価値)と『行動の型』(動作)の融合構造と位置づけてみる。そして、その融合構造を創造的に展開する瞬間と過程、そして結果が「経営文化」(management culture)であるとする。いうならば、内面(うち)と外面(そと)、精神と物質、主体と客体、混沌(カオス)と秩序(コスモス)を貫いて、ゆるぎない創造の超越主体の自己組織化に、かかる「経営文化」の領域がある。

 精神を経営することも経営文化の領域内にあるが、「企業文化」(business culture)を創造し、その情報発信を通じて、個々の「会社文化」(corporate culture, company culture)を確立する使命も「経営文化」の創造的融合能力の枠組みの中にある。ここでいう「企業文化」とは、個人起源の事業化能力を含み、新しい産業や製品・サービスを掘り起こす能力的基盤を意味する。一方、「会社文化」とは、会社の生命の存続条件の確保と持続可能な競争的地位の強化を意味するものである。

 以上のことから、「経営文化」は、企業文化と会社文化を包含するだけではなく、良質な伝統文化、芸術文化、生活文化、観光文化、スポーツ文化、「産業文化」(industrial culture)、さらに、組織文化、会議文化、地域文化、行政文化、宗教文化、科学技術文化、大衆文化、文化環境等々を包摂して、その保護と育成およびそれらの再構築にかかわる課題にも応えうるものである。それは、その背景に「経営文化研究」の理論的支柱やその成果としての政策形成への提言の基盤として、組織と人間、比較文化、異文化、多文化、地域研究、国際戦略の研究手法が有効に活用されているからである。
さらにいえば、「経営文化」は、特定の個人、組織、地域を超えて、一国の国家主体や地域連合、そしてグローバルな組織体の統合やネットワークの理論的基礎へと進化する。

言い換えると「経営文化」は、資本主義ないし社会主義の仕組みや、工業化、都市化、欧米化への近代化を見直すもう一つの次世代のエネルギーやリズムないしプロセス(過程)の論理特性を価値内包している。

 したがって、「経営文化」の自己組織化の狙いは、以上のような経験ないし状況を内にもつ指導者のための知の開拓であり、そのための有用な情報交流の場づくりでもある「国際経営文化学会」設立の精神はここにある。「国際経営文化学会」の場づくりは、人づくりを最終的な目的としている。その人は改革の指導者である。ここで大切なことは、自らが改革の指導者となるよりも、改革する人的資源育成に貢献できる人づくりが、次世代のためのより広い立場から求められることである。

 「国際経営文化学会」を参加会員が自らの「経営文化」創造の場とし、改革の情報お狩り場として、また、教育素材収集の貴重な機会として活用するなら、「国際経営文化学会」は緊張から解放された知的感動の人間ドラマの交流の場となる。さらに、本学会の活動を介して、次世代に継承されるべき「知の統合」が会員相互の間柄に構築されていくと同時に、新しい学問クラブ・コミュニティが、超学際的研究(transdisciplinary studies)を通して、未来に向けて形成されていくものと確信している。

国際経営文化学会会長 村山元英